雑記というものは、よくわからない。 まずは適当なことを書いてみよう。 ずらずら書いてもいいのだけれども、 それだと見にくいということに気付いてしまった。 誰のための文章なのかを考える以前の問題だ。 迷惑を避けて、表現だけを追うことにしよう。 避けられた言葉とは。 素直な言葉とは。 駄文が多かったので、編集し直したけれど、 簡潔になりすぎて、よりわからなくなってしまった。 以下は、編集せずに、置いておこう。 これは確かなことではないが、 常に私たちが言葉というものに対して 表と裏の面で接しているかと言えば、 そうではないだろう。 言葉は生まれてからも言葉だが、 生まれる前から言葉であるのだ。 言葉が言葉として、 例えば、それが生まれる前の赤ちゃんのように、 母親のお腹の中で生きているということに似ているだろう。 言葉も、誰かの耳や目に届く前に、 自分の耳や目を通しているということだ。 誰かに言おうとしている言葉。 それはいま、まさに自分が聴いたばかりの言葉かもしれない。 自分に言い聞かせたい言葉かもしれない。 嫌だ嫌だという風に思っている感情を言葉に乗せ、 空気の中にばらまきたいのかもしれない。 まるで一斉に鳴き始める蝉の鳴き声のように、 突然で短く、それでも、にわか雨のように空気の中に残るもの。 それならば、言葉というものも空気の中に舞っているのかもしれない。 ひらひらと葉っぱが散る姿のように、 ひらひらと言葉も散っているのかもしれない。 脈のひとつひとつに風を感じながら、 誰かの耳元、まぶたをかすめて飛んでいく、 夏の日差しの蝉のように。 |